院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。

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坂元台整骨院(鹿児島市)院長のバックストーリーPart10

院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。 前回までのストーリーPart9はこちら ⬇️⬇️⬇️ 念願だった整骨院の開業を決意。不…

3-3 忘れられないある患者さんとのエピソード。そして、尊敬する医師との出会い

開業してから早くも1年の月日が過ぎようとしていました。

徐々に患者さんの来院数も増えてきて、忙しい日々を過ごすようになりつつあったところ、忘れられない患者さん(以下Mさん)が紹介で来院されました。

受付で痛みのあまりうずくまっており、痛みを堪えようとする痛々しい声まで聞こえてきて、ただ事ではないのはすぐに分かりました。

Mさんに問診でお話を聞くと、がんのステージ4ということで病院でがんの治療を受けているが、がんからくる痛みが凄まじすぎて、ほんの少しでもいいから痛みが和らげばとの切実なご相談でした。もちろん、がん自体の治療を求めているのではなく、あくまで痛みが少しでも和らげばというご相談でした。

あまりにつらそうにしているので、正直私も施術しながらとても心が痛みました。当時の私にやれることは全部やりましたが、当たり前ですがまったく歯が立ちませんでした。それでもご本人は「施術をしてもらうとほんの少しだけど楽になるから」と言って、定期的に通院してくださいました。

何かもっと楽にさせてあげられる方法はないものか?寝る間も惜しんで治療法についてや医学書など調べまくりました。そうしていると、ある本に「難治性痛み治療 遠絡療法 ドクターチームの挑戦」という一文が目に留まりました。難治性の痛みに効く遠絡療法という治療法を開発された医師の書かれた本でした。そこにはガンからくる痛みにも有効だった事例が書かれていました。そしてその日は寝ることも忘れてその本を読み終えたのでした。

先日読んだ本に紹介されていた治療法は当時、福岡まで行けば学べることが分かりました。以前は東京のみで開催されていたようですが、九州でも開催されるようになっていたことはラッキーでした。セミナー代は医師を対象にしていることもあり、高かったのですが、医療系の有資格者も受講していいとのことでしたので、迷うことなく申し込みさせていただきました。

そこから、ほぼ毎週のように週末は福岡までセミナーに行くようになりました。東洋医学をベースに作り上げられた治療法でしたので、鍼灸師の免許を持っていない私には初めのうちは内容が本当にちんぷんかんぷんで分かりませんでした。「内容が分かりづらいし、遠絡療法を学ぶのやめようかな」と思うこともありました。しかし、「Mさんのお力に少しでもなりたい」という一心で諦められませんでした。

なかなか最初は理論の理解に苦しみましたが、毎週講師の医師の先生に質問しながら徐々に理解を深めていきました。こんなにしっかりした理論のもとに作られた治療法であることを分かり出すと、創始者のドクターはとんでもない方なのだなと思うようになっていきました。

ある日のセミナーの帰りに講師の医師の先生に声をかけていただきました。「毎週のように頑張って勉強に来ているけど、よかったらうちの病院でも毎月1回、この治療法の勉強を理学療法士の先生向けに院内勉強会として教えているから来てみたら?」ということでした。その医師の先生は鹿児島からセミナーの講師として依頼を受けて教えに来ている先生でした。

「私が病院にも学びに行ってよろしいんですか?ぜひ行かせてください!お願いします!」と即答して、鹿児島の病院の方でも学べる機会をいただけるようになりました。そして講師の先生から「理学療法士の先生方への実技指導の時のサポートをしてほしい」との依頼も受けましたので、より一層気合を入れて治療の勉強に打ち込むようになりました。

毎日、家事や育児など家のことをすべて済ませてからの勉強でしたので、睡眠時間を削りながら限られた時間での勉強で疲労も蓄積していました。しかし、「Mさんのお力に少しでもなれれば」との思いが私を突き動かしてくれていました。

初めて勉強のために病院へ行く日はとても緊張しました。自分なんかが本当に行っても大丈夫なんだろうかと心配もしましたが、毎月通うたびに徐々に慣れていきました。病院での院内勉強会が終わると、毎回指導してくださる先生と一緒に晩御飯を近くのレストランで食べる機会をいただけました。そこで毎回治療についての疑問点、質問をさせていただいて大変有意義な時間を過ごさせていただきました。その積み重ねにより、今まで改善させられなかった症状などにも少しずつ対応できるようになっていきました。

しかし、福岡のセミナーに通いながら、病院での院内勉強会も受講し続けることは決して楽ではありませんでした。二人目の子どもが無事に誕生しましたので、充実しながらもとても大変な時期でした。勉強会に行かせてもらう日以外はなるべく家事や育児をするように心がけましたが、特に用事で妻がいない時などは、小さな子ども2人の面倒を見ながら家事をこなすのは本当に一苦労でした。「セミナーを私が受講している間は妻にはこんな苦労をかけさせてしまっているんだよな」と思いながら申し訳ない気持ちで勉強会に向かっていました。

文句の一つも言わずに毎回勉強会へ送り出してくれた妻には感謝しかありません。

また、今回とても尊敬できる医師の先生と良いご縁をいただき気付かされたこともありました。

医学部に入学するためにすごい勉強を学生時代からしてこられて、大学の医学部で6年間学び、医師の国家試験を合格して医師免許を取り、病院で日々激務をこなしながらも休みの日は治療の勉強に行って熱心に学び続けているドクターもたくさんいるということです。

医師でもない私はもっと研鑽を積まなければならないと身の引き締まる思いにさせられました。「私がお会いさせていただいた医師の先生方の努力に比べたら、私の努力などまだまだだよな」と痛感させられたのです。

その後も福岡でのセミナーや、病院での勉強会で遠絡療法の学びを続ける日が続きました。

そして、ガンの痛みで苦しんでいたMさんがある日、「なんだか最近、施術してもらった後は今までよりも痛みが少し楽な気がする」とおっしゃいました。

もちろん、とても苦しいことに変わりはなかったのですが、ほんの少しですが今までと違う効果を感じていただけたのかなと思います。「よし、もっと勉強して少しでも楽になっていただこう」と気合が入りました。

そんなある日、整骨院のお昼休みに電話が鳴り、ちょうど受付さんが席を外しておりましたので私が電話をとりました。するとMさんの娘さんでしたので、また予約の電話だろうと思っていると、「先日母が亡くなりました。いつも母は苦しそうにしてましたけど、そちらに施術に行くのをいつも楽しみにしていました。先生には本当にお世話になりました。ありがとうございました」という電話でした。

突然のことにしばらく呆然となり、静かな時間が流れました。そして、気がつくとしばらく涙が止まりませんでした。

この出来事は一生忘れられないでしょう。

この時の経験が、「最後まで自分自身が責任を持って患者さんを診ることを大切にする治療院」という、私の治療院のあり方を形作っていくことになったのです。

院長のバックストーリーPart12(最終章)に続く

(監修 柔道整復師 児玉寛武)