
院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。
前回までのストーリーPart9はこちら
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念願だった整骨院の開業を決意。不安と期待を抱えながらの準備期間から開業にいたるまで
鹿児島に帰ってきて2年目の春が訪れようとしていました。
年齢的なこともあるし、できれば今から2年後には開業したいと思っておりました。院長にも面接の時点でその意向は伝えていましたので、そこに向けて逆算して準備を進めていたのです。
そしてこの時期、自宅を建てようかどうしようかと妻と話し合っていた時期でもありました。
そして自宅を建てるのであれば1階は整骨院にして、2階は住居で建物を新築しようかという話になりつつありました。
しかし、その前に大きな問題がありました。
とても情けないお話しですが、私が社会保険もついていない職場で、お給料も少ないし、勤続年数なども長くないために住宅ローンの審査が通るのかどうか。たとえ通ったとしても、どれくらいの金額でローンを組めるのかという問題でした。
金融機関でその辺りのご相談をさせていただきましたが、妻の職場の信用が高いとのことで考えている予算でローンは組めるだろうとのことでした。この時は嬉しさや、安堵感よりも、とても情けない惨めな気持ちになってしまいました。
自宅を建てようと思っていることを身近な人に伝えた際に「嫁のヒモのくせに」と言われて大変ショックを受けたこともありました。「まわりからはそういう目で見られているのか」と落ち込んでしまい、一人前に稼げるようになるまで自宅を建てるのはやめようかと本気で考えることもありましたが、妻が「気にしないで新築の話を進めていこう」と言ってくれたので話を進めることにしたのでした。
新築する場所は以前より、休日を使ってあちこち不動産会社を通じて見て回っておりましたが、なかなか良さそうな場所が見当たりませんでした。
困り果てているところに、ポストに不動産会社のチラシが入っており何気なく目を通してみると、土地の販売情報が出ていました。そして、妻の実家や私の実家からもアクセスの良い場所に土地が売りに出ていたので、とりあえず見に行ってみました。
閑静な住宅街で、周りに商店などがあまりない場所でしたが、国道と県道の間の抜け道の通り沿いでしたので、気になる場所でした。ですので、チラシに載っていた不動産会社に電話して、一度お話を聞くことにしました。
不動産会社の方とお会いする前日まで、仕事が終わると毎日のようにその土地に行って下見を繰り返しました。「本当にここでいいのかな?」と毎日自問自答していました。
不動産会社の方とお会いする日が訪れました。お話を聞くと、そこの土地を購入するには指定された住宅メーカーで家を立ててくださいとのことでした。ですので、そのままその住宅メーカーの担当者の方とお会いすることになりました。
そこの住宅メーカーの施工実績などの関連するお話も聞き、モデルハウスや実際に建てている建物の見学なども休みの日を使ってたくさん見せていただきました。整骨院の施工実績もあるとのことで、実際にそこの整骨院も見学させていただきました。
妻といろいろと話し合いを重ねた結果、その住宅メーカーで整骨院兼自宅を新築することに決めたのでした。
それ以降、設計士の方と何度も意見を擦り合わせながら話を進めていきました。そして、そこでいろいろな壁にぶつかることになりました。
建物の広さの都合上、どうしてもすべてを希望通りにできるわけではありませんでした。妥協しなければならないところもいろいろと出てきます。その度にみんなで知恵を振り絞って、最善策を検討していきました。
この時期は、整骨院の仕事でへとへとの状態で帰宅すると、毎日のように遅くまで妻と新築のことについて意見交換する日が続きました。一度建ててしまうと変更できませんので、お互い納得いくまで話し合いました。
そのような日が数ヶ月続きましたが、ようやく大方の見通しがつきました。
しかしこの時期、妻の体調が良くありませんでした。心配になりましたので病院に連れて行くと、どうやら妊娠しているとの報告に思わず「よかった!」と拳を握り締めました。それと同時に「妻にはあまりこれから負担をかけさせるわけにはいかない。家族のためにも、もっと頑張らなくてはならない」と気持ちが引き締まりました。
開業にはそれなりの資金の準備が必要ですので、貯金をある程度しておかなければなりません。鹿児島に帰ってきてからというものの、妻のワンルームマンションで暮らしつつ、節約しながらの生活に妻は文句のひとつも言わずに協力してくれました。
しかし、開業前に必要な資金はこのままのペースの貯金ではどうしても厳しい現実がありました。そのことで悩んでいる私に妻が、「私の貯金も足しにしていいから開業に向けて頑張って」と言ってくれたのです。
心の底から感謝し、ありがたいと思いました。それと同時に身近な人に言われた「嫁のヒモのくせに」という言葉が脳裏から離れられずにいました。「俺ってやっぱり嫁のヒモなのかな…」と、とても複雑な心境になり苦しかったです。
でも、たとえ「嫁のヒモ」と罵られようが突き進むしかありませんでした。ここはプライドなどは捨てて妻の協力してくれた貯金も足しにして準備を進めることにし、なんとかお金の工面はできることになりました。「必ず妻には将来恩返しをしよう」そうこの時誓いました。
この開業準備期間中に最も力を入れていたのがやはり治療の勉強でした。しかし、だんだんと開業の日が近づいてくるにつれて、「今の治療技術レベルではダメだ」と不安が襲ってくることが度々ありました。ですので治療のセミナーで学んだことを反復練習して、多くの臨床経験を現場で積ませていただきました。現場で自信をつけていくしかありません。
この臨床経験でうまくいかない患者さんがいると、「このレベルで開業していいのか?」とまた不安になりましたが、なんでうまくいかなかったのか反省して、夜中遅くまで医学書などを読み漁りながら原因を検討していました。そして原因から修正点をあぶり出して再度練習を重ねて臨床でトライして結果の検証を行いました。
うまくいかずに頭を抱えてしまうことも多かったです。でもその度に、院長に質問したり、学びに行っている治療セミナーの先生に質問したりして問題解決のヒントを得ていました。
そのような生活を続けながら鹿児島に帰ってきて3年目の春を迎えようとしていました。
自宅も完成して、新しい新居で生活していましたが、ある日の明け方に妻がお腹が苦しくなってきたと言い、急いで支度してかかりつけの産婦人科へ一緒に向かいました。どうやら出産が近づいてきているとのことで、私の緊張感も高まりました。
妻がとても苦しそうにしておりましたが私は励ましの言葉をかけたり、腰まわりをさすってやったりすることくらいしかできませんでした。「こんなに妻が苦しいなら早く生まれてきてほしい」と心から祈りました。
この時私は一緒に出産に立ち会って、最後まで寄り添いました。そして生まれたての赤ちゃんが妻の胸の中で抱かれている姿を見て「これからは父親として、よりいっそう家族のために頑張ろう」と決意することになるのでした。
子どもが生まれると今までの生活が一変しました。やはり子供中心の生活になるので、自分のことばかりしているわけにもいきません。妻や子供のサポートをしながら、開業に向けて準備を進めていきました。
掃除や洗濯、料理に皿洗い、子供の食事や入浴などできる限りやりながら、家族が寝静まった後に寝る間を惜しんで開業に向けての勉強や準備を進めました。
合間の時間を見ながら看板屋さんとの打ち合わせや、医療機器メーカーとの打ち合わせ、金融機関との打ち合わせ、白衣や患者さんの着替えの準備、診察券や問診票などの整骨院に必要な書類関係の準備、その他諸々やるべき準備が次から次に後を絶ちませんでした。
この頃は福岡での修行時代のように、睡眠不足で常に身体が重く、目の下にクマができて、肌も荒れて、口内炎も良くできておりました。毎日3~4時間ほどしか寝る時間がなかったのでつらかったですが、今は家族がいます。家族の存在は私の気力を奮い立たせるのに十分な存在でした。
そしていよいよ開業の日も近づいてきました。
3月いっぱいまでお世話になった整骨院で働いて、翌月の4月17日開業で準備を進めていました。今までお世話になった院長やスタッフ、整骨院の患者さんに一人ひとりお別れの挨拶をするときは、やはりつらかったです。
整骨院勤務最終日、そろそろ受付時間も終わりに差し掛かった頃、私が担当していた女性看護師の患者さんがとても大きな花束を持ってこられて「今までありがとうございました。開業おめでとうございます。頑張ってください!」と、お花と一緒にエールをいただき思わず涙しそうになりました。
実はこの患者さんを担当しはじめた当初は、なかなかお役に立てることができずにいつも頭を悩ませていました。何か解決のヒントはないか深夜まで医学書を読み漁ったり、院長にも相談したり、治療技術セミナーの先生にも相談しながら試行錯誤する日々でした。
毎回、解決の糸口はないかヒアリングを重ねながら対応する日々でしたが、なんでこんなになかなか良くならないのに通い続けてくれるのか不思議に思うこともありました。
そんなある日、「先生はいつも熱心に私のお話を聞いて、どうにかしたいとする気持ちが伝わるので任せようという気持ちになれます」とのお言葉を頂戴しました。この時、「悩みの深い患者さんたちは、自分の話をしっかり聞いてほしいんだな」ということがわかりました。そして話を聞くことも立派な治療の中の一つであることも気付かされました。ただ、学んだ治療法で患者さんの身体を触っていればいいというものでもないのです。
心と身体のバランスを崩しかけた経験を過去に私も経験しておりましたので、そのあたりはとても良く理解できました。心と身体は密接に繋がっています。話をよく聞いて、患者さんの心が落ち着けば、身体は治りやすくなっていくものです。
とにもかくにもこの患者さんは時間はかかってしまいましたが、お身体の状態も良くなり、定期的なメンテナンス通院をしていい状態を保つことができるようになったのでした。
このような祝福を患者さんからしていただき、「今までここで頑張ってきてよかった!開業する整骨院でも地域のお役に立てるように頑張ろう!」と決意を新たに整骨院を晴れて退職することになったのでした。
2017年4月17日いよいよ開業の日を迎えることになりました。不安と期待とが入り混じった状態でドキドキしながら患者さんが来院してくださるのを待ちました。
初めて来院された患者さんに対応するときはとても緊張しましたし、絶対に良くなっていただきたいとの思いが前面に出てしまい、とても時間がかかってしまいました。独立してしまうと、叱ってくれる人もいなくなりますので、注意が必要です。毎日仕事終わりに、1日を振り返って反省する時間を作るようにしました。
初日は、患者さんは少なかったものの、院内整備や以前勤めていた整骨院の患者さんがお祝いにやってきたりであっという間に1日が過ぎ去りました。
その日の夜はお風呂と、食事を済ませると、寝る間も惜しんで開業準備を進めてきた疲れがどっと押し寄せて、そのまま朝まで死んだように眠り続けたのでした。
この時の経験が、身近な家族から大切にしていくことが患者さんへの思いやりへもつながって行くことになるなんて思ってもおりませんでした。
院長のバックストーリーPart11に続く
(監修 柔道整復師 児玉寛武)

