院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。

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坂元台整骨院(鹿児島市)院長のバックストーリーPart8

院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。 前回までのストーリーPart7はこちら ⬇️⬇️⬇️ 2-4 過労による貧血で倒れながらも…

3章 鹿児島の明るい未来に貢献したい!その一心で

3-1 故郷の鹿児島で恩返しがしたい!紆余曲折を経ながら邁進した修行の日々

無事に柔道整復師の国家試験に合格し、その結果を修業先の整骨院の院長に伝えました。

実は少し前から「免許を取ったら分院の院長をやってみないか?」というお話をいただいておりました。とてもありがたいお話ではあったのですが、まだまだ免許取りたての私に院長職など務まる自信もありませんでしたし、地元の鹿児島で修行を積みたいと思っておりました。ですのでその旨はその時院長に伝えておりました。

院長から「やはり児玉先生の考えは変わらないかな?分院の院長をやる気持ちはない?」と再度確認されたので「大変ありがたいお申し出ではございますが、気持ちに変わりはございません。お声がけいただきましたこと、心より感謝しております」とお伝えしました。

前の職場では、最後につらい思いをすることになりましたが、今回の職場では最後まで私を必要としてくれる気持ちが院長から伝わりました。人から信頼される、頼りにされるということはこんなにも心が温まり、嬉しい気持ちになれるんだなと実感しました。そして、私も患者さんや家族から信頼される先生になれるように、いっそう努力することを誓ったのです。

3月いっぱいでアパートも引っ越す手続きを済ませつつ、面接のアポイントを取っていた整骨院に鹿児島まで向かいました。

昔ながらの整骨院という感じで、院長先生の雰囲気も良い先生でした。

「他にも面接受ける方がいるので、結果は1週間ほどお待ちください」とのことでした。

「今まで勤めていた整骨院とはまた違ったタイプの整骨院のようだし、採用されるといいけどなぁ」と思いながら福岡に戻りました。

約1週間後、採用していただけるとの連絡をいただいて、ホッとしました。

そして今までお世話になった整骨院の院長やスタッフ、患者さんなどにお別れの挨拶をして鹿児島へと帰ることになったのです。

いろいろと大変な福岡での3年間でしたが、いざお別れの挨拶をするときはやはり寂しいものでした。

4月より鹿児島で柔道整復師としての治療家人生がスタートしました。

緊張しながら新しい職場へ到着して、「おはようございます。本日よりお世話になります、児玉寛武と申します。1日も早く皆様のお力になれるよう努めてまいりますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」と挨拶を済ませて、業務の説明を受けました。

新しくお世話になる整骨院の手技はこれまでとはまた全然違うものでした。全身満遍なく気持ちよくマッサージするとか、ツボを指圧していく、骨格のゆがみの矯正というのが今までの整骨院でやってきた手技でした。

今回の整骨院では、「全身200以上ある筋肉の中から、独自の検査法を用いて、その人のバランス傾向を見つけ、今最適なバランス状態を保つように筋肉を調整する」というものでした。

その人その人の癖や傾向を分析して、バランスの崩れた部分を集中的に調整するので、腰の痛みに対して足部や上肢(肩から指先までのこと)を調整したり、肩の痛みに対して脚から調整したりと初めは不思議に思う手技でした。

まずはこの技術を覚えるために、検査法を覚えることと、筋肉の起始停止(筋肉がどこからどこまで付着しているのか)を正確に覚えておく必要がありました。

国家試験を受けてから日が浅いこともあり、筋肉の起始停止などはまだ覚えておりましたが、正確にこれらの筋肉を触診できるかといえばまだまだでしたので、触診に関する書籍を読みながら正確に筋肉に触れる練習を繰り返していきました。すごく地味で飽きそうなこの練習を飽きずにひたすら反復していました。

ここで感じたのは「思っている以上に触診は難しい」ということでした。人によっても全然感触が違いますし、すごく繊細さが要求されます。

どうやったら触診が上達するのだろうと悩む時期もありましたが、院長からの指導や触診に関する書籍を参考にしながらとにかくやり続けるしかないとの結論に達しました。今現在でも日々練習しております。終わりのない、生涯かけて磨き続けていくべきものだと感じています。

ある日院長に呼ばれて「ちょっと施術してみて」と言われましたので、習った技術で院長を施術していきました。そして「本格的に患者さんを施術してもらうから」と合格をいただき、晴れてデビューすることになりました。

デビューして間もない頃、とても患者さんが来院されて忙しい日がありました。新しい施術法にまだ慣れていなかったこともあり、思ったより患者さん達を施術するのに時間がかかってしまいました。

その後、院長から呼ばれて「しばらく患者さんを施術しなくていいから、また練習しといて」と言われてしまいました。とてもショックでした。

予約制ではなく来院された順番制で、窓口にお支払いいただく治療費が500円と安価な整骨院でしたのであまり患者さん一人ひとりに時間をかけることはできません。検査から施術までをスピーディーに終える必要性がありました。

ですので、短い時間で施術する練習を整骨院の隙間時間にひたすら続けました。また、仕事終わりや休みの日などは家族や友人などの身体を借りて、練習を続けました。

治療法の勉強をしながら、実技の練習を重ねていくうちに気づいたことがありました。今まではもっと患者さんを良くしたいとの思いから「ここも施術しよう、あそこも施術しよう」と余計に触ることが多かったということです。それで施術の時間も長くなってしまっていました。

実は検査で導き出された原因の筋肉だけを丁寧に調整したほうが、時間も短くて済むし、効果も出ることが分かってきました。

当時無知だった私は「肩が痛い」と言われると、どうしても反射的に肩を触っていましたし、「腰が痛い」と言われると、「とりあえず腰も少しは触っとかないと患者さんも納得しないのでは」と勝手に思い、触ってしまっていました。でも、思ったような効果を出せないことが多いでした。

ですので、ある日から勇気を持って「ここが痛い」と患者さんが訴えるところを触らずに、検査で導き出された筋肉だけを丁寧に調整するようにしました。

そうすると、余計なところまで施術していた時よりも、短い時間で効果が出ることを実感するようになったのです。

このような経緯を通じて、院長が「施術しなくていい」と私に言った意味がようやく理解できました。そして、一度ついてしまった施術の癖を修正することの大変さを痛感する出来事になったのでした。

この時お世話になっていた職場は昔ながらの整骨院ということもあり、怪我などの外傷の患者さんもそれなりに来ていました。そして、この職場で自分は怪我の処置が全然できないことを痛感してしまいました。

怪我の処置には包帯の他に、テーピングなどを使用することが多いのですが、当時はまったくテーピングがはじめできませんでした。

テーピングというのは怪我をした筋肉や関節を保護・固定するために、専用のテープを身体に貼る方法です。痛みの軽減や再発予防、動きのサポートを目的に行われます。

ですので、休みの日を使ってよくテーピングやトレーナー系のセミナーに行くようになりました。キネシオテーピング(伸縮性のあるテープを貼り、筋肉や関節の働きをサポートするテーピング方法)、スパイラルテープ(身体のバランスを整えるために特定のポイントへ貼る小さな格子状のテーピング)、ファイテンテープ(筋肉のコリや違和感のある部分に貼る小さな丸いテープ)などのセミナーを受講しては復習し、臨床を重ねていきました。

私は皮膚がかぶれやすい体質です。セミナーで身体のあちこちにテープを貼るので、翌日以降はいつもテープ負けして身体中が真っ赤になり、痒くて仕方ありませんでした。鏡で自分の身体を見ると自分の身体ではないように見えました。それでも、早くテーピングもできるようになりたいとの思いからセミナーを受講し続けました。

この頃は皮膚負け用の薬が手放せない期間が続きましたが、おかげさまで徐々にですが怪我の処置にも自信をつけていくことができました。

日々、柔道整復師として臨床を重ねていくうちに、お世話になっている整骨院の治療法で改善できない患者さんもまだまだ多いなという実感がありました。「普通に日常生活を送れるようになりたいという患者さんの希望を叶えたい」「もっと家族に楽をさせてあげたい」そのような思いから他に良い治療法はないか色々調べては週末は治療のセミナーに出席する日が続きました。

当時の整骨院勤務では社会保険も付いてなく、安い給料ではありましたが、妻が家計のやりくりを色々してくれてなんとか治療のセミナーに参加し続けることができました。

ソフト整体、運動療法を主体とした治療、ストレッチを主体とした治療、物療機器を応用した治療など県外までよく治療のセミナーに行くようになっていました。

改善できなかった患者さんがいるとその度に悔しい思いと、患者さんに申し訳ない気持ちになり、「もっと治療を上達させないといけない」と気持ちを引き締めて治療の勉強に取り組んでいきました。

この頃は、整骨院のやり方でよくならない患者さんがいたら、院長の目を盗んでは学んできた治療法を色々とコソコソ試していました。正直、何度も院長にその行為が見つかり、怒られて嫌な顔をされましたが、やり続けました。「院のマニュアルよりも患者さんを良くしようとすることが最優先」という院長から見れば最悪の従業員でした。院長には本当に申し訳なく思っています。

しかし、治療というのはそうそう簡単にできるようになるものではありませんでした。「一体、いつになったら自分が納得できるような治療ができるようになるのだろう。肩こりすら改善できなかったじゃないか」と、途方に暮れてしまうことはよくありました。

そのような患者さんが出るたびに反省し、原因を検討しました。そして原因から修正点をあぶり出して再度練習を重ねて、また臨床でトライする。これをひたすら続ける毎日でした。

うまくいかない患者さんがいると休みの日まで「何がよくなかったのだろう。次はあそこを治療してみようか」などとずっと考えていました。

そして患者さんをよくするための何かヒントがないだろうかと、医学書や論文などを寝る間も惜しんでよく読み漁っていました。そこで、世の中には膨大な数の治療法があることも知りました。そして、アメリカ発祥のカイロプラクティックについての書籍が目に留まり、読み始めるとついつい面白くて深夜まで読みふけってしまいました。ここで、「なんだ、結局勉強漬けの日々はこれまでと何一つ変わっていないではないか」とふと思い、なんだか笑えてきました。

こうしながら、患者さんに良い結果を出せることがほんの少しずつですが一歩一歩増えていくのを実感していくのでした。

この時の経験が、後々の自分の臨床での強固な土台、基礎固めに繋がっていようとは思いもしませんでした。

院長のバックストーリーPart10に続く

(監修 柔道整復師 児玉寛武)