
院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。
前回までのストーリーPart6はこちら
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2-3 新天地での修行。そして私を襲った交通事故
今までお世話になった整骨院を辞める日が訪れました。「本日をもって退職いたします。皆様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました」と全スタッフに挨拶を済ませたところで、院長から「お前なんてどうせどこに行っても通用しないよ。まぁ、せいぜいダメなりに頑張って」というお言葉を頂戴し、最後に整骨院を去ることになりました。
院長は最後、あえて私を厳しい言葉で送り出してくれたのだと信じておりました。しかし後々、ここの整骨院で一緒に働いていたスタッフから、院長が「月給5万円で安くコキ使える今どき珍しい人材がいなくなることが残念でムカつくわ」という趣旨の発言をしていたことを聞いて、心がえぐられました。「上達したら時給制にする」と面接では言っていましたが、卒業まで月給5万円でコキ使って人件費を浮かせたかったそうです。この話を聞いた時は腹が立ったというより、信じていた人に裏切られた思いで、胸の奥に冷たい石を落とされたような感じがして、1週間くらい世界が灰色に見えました。
でも、自分は将来患者さんを治せる治療家を目指しているのだから、こんなところで挫けている場合ではありませんでした。そして、「自分が一人前になったら同じようなことをしてはいけない」と心に誓い、身近な人やご縁をいただく患者さんを大切にする気持ちで学び続けることを誓いました。
月が変わり、新しい整骨院にお世話になることになりました。
初出勤の時はとても緊張しましたが、「本日からお世話になります、児玉寛武と申します。まだ分からないことばかりで、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、1日でも早くお役に立てるよう精一杯頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶を済ませて、一から仕事を教えていただくことになりました。
新しくお世話になることになった整骨院は、在籍年数が7〜8年のベテランのスタッフの方も数名いて、厳しい院長のもとで皆キビキビ働いていました。私の教育係を担当してくださった先生は、年齢は私よりも5歳ほど下でしたが、柔道整復師と鍼灸師の免許を持ち、7年ほどこの院に在籍している先輩でした。
まずは院の掃除や受付業務、ベッドメイクやホットパックの取り付けなどの施術の補助業務を中心に教えていただき、隙間時間でマッサージなどの手技の練習をするという内容でした。だいたいこの前までいた整骨院と同じような内容でしたので、施術以外の仕事内容は覚えやすかったです。しかし、マッサージのやり方が前の整骨院と全然違ったので、一から学び直しでした。また、今回からお世話になった整骨院では、骨格のゆがみを整える矯正の施術もしておりました。ですので、マッサージと矯正の練習を同時並行で進めることになりました。
今までは、単に気持ちのいいマッサージができるようになるために、全身を満遍なく気持ちよく押せるような練習をしていました。新しい整骨院でお世話になるようになってからは、指圧するにしてもツボを意識して指圧する必要性が出てきました。ですので、ツボの位置や効能などを覚えないといけませんでした。鍼灸師を目指しているわけではなかったのですが、臨床においては単に気持ちのいい全身マッサージより効果が期待できるので、覚えておいて本当に良かったと感じました。
少しでも早く仕事を覚えたかったので、毎日、夜学校が終わって自宅に帰っても、夜遅くまでツボの勉強をするために購入したツボに関する書籍を読んだり、解剖学や生理学の復習をしたり、クッション相手に手技の練習を続けました。また、学校の近くに住んでいる専門学校の同期たちにお願いして、マッサージや矯正の練習相手になってもらいました。そのうち、指がまた以前のように猛烈に痛くなり、腫れと炎症で苦痛な日々が続きました。毎晩アイシングや湿布などを貼って対処していましたが、気休め程度でつらさは変わりませんでした。
これ以上指を酷使したらやばいぞという感覚になったら、解剖学などの勉強のほうに切り替えて指を休ませるスタイルで乗り切っていました。
技術面においては、ただツボを押せばいいと当初は思っておりましたが、そう簡単なものでもありませんでした。
同じツボでも、人によってツボの位置は微妙に違うことを知りました。非常に繊細な触診の能力も必要になってきます。これがまたとても難しいものでした。毎日毎日触る練習をして、感覚を磨き上げていくしかありませんでした。
しかし、実際にツボを意識しながら指圧していくと、満遍なく全身を気持ちよくマッサージしていた時よりも、患者さんの反応が良いことを徐々に実感していきました。
マッサージの練習も大変で過酷でしたが、手技の難易度としては、骨格のゆがみを整える矯正の施術がさらに難しく感じました。学校で学んだ解剖学などの復習をよくするようになったのは、テストでいい点数を取るためというよりは、「身体の構造がしっかりと頭に入っていないと、どの方向にどのように矯正を加えたらいいのか判断がつかないから」という理由からでした。
新しくお世話になった整骨院は日曜日がお休みでしたので、休みの日は図書館に向かい、開館から閉館までひたすら勉強していました。学校の勉強の復習ももちろんしていましたが、大きな図書館でしたので医療系の本もたくさん置いてありました。当時、金銭的にもかなり苦しい思いをしておりましたので、本を買うお金もなかなか捻出できませんでした。ですので、図書館に行けばタダで医療系の本も読み漁れるわけですから、この頃から休みの日は図書館に一日中こもって勉強することが習慣化しておりました。
徐々に知識もついてきて、毎日の反復練習で骨格のゆがみの矯正が少しずつですができるようになってくると、患者さんから良い反応をいただくことが少しずつ増えてきました。とは言っても、まだまだ未熟すぎる状態ではありましたが、矯正というものに対して患者さんからお喜びの声をいただくたびに、徐々に手応えを感じつつありました。
当時、業界全体が物療機器とクイックマッサージで患者さんを「施術する」というより、「流れ作業のように回していく」ことが横行している状態でした。
そうしているうちに、整骨院は「保険の使えるマッサージ屋さん」「白衣を着たドカタ」などと揶揄されるようになってしまったのは、業界自体が招いてしまった責任と言えるでしょう。
そのような業界事情は、周りから聞いているうちにだんだん詳しくなっていきましたので、自分はちゃんと「頭を使って」施術できるようになろうと心に誓ったのでした。
新しい整骨院で働き始めて半年ほどが経とうとしていました。
ボロボロの自転車で毎日移動していましたが、ついに再起不能なまでに故障してしまいました。整骨院から自宅までが離れており、移動も多くなっていたので、中古のすごく安いバイクを見つけ、購入することにしました。
ある日の朝、バイクで通勤していると前の車が急停車しました。慌てて急ブレーキをかけましたが、タイヤがそのままロックされて滑り、転倒しました。その時、学校の教材をパンパンに詰め込んだ重たいリュックを背負っていたので、思いっきり肩が引っ張られました。その瞬間、すごい激痛が肩に走りました。とてもバイクを運転できる状態ではありませんでした。そしてこの時、人生で初めて救急車に乗せられ、緊急搬送されることになったのです。
病院に運ばれ、レントゲン検査と診察を受けましたが、「おそらく肩の打撲、捻挫でしょうから、しばらくしたら良くなるでしょう」と言われ、一安心しました。
しかし、その場で肩を上げようとしても激痛でまったく上げられない状態でした。
その日の晩は肩の痛みが疼いて全然眠れませんでした。「打撲、捻挫ってこんなにきついのか」と思いながら一晩過ごし、翌日になりましたがまったく肩を上げられず、痛みもひどかったので、出勤前に院長へ電話して事情を説明しました。すると「今日は休んでいいから、別の病院でもう一度診てもらって」と言われたので、別の病院を受診しました。
人生初のCTやMRI検査を経験しました。MRI検査は狭い空間の中で、ものすごい音が鳴り響いていました。30分くらいかかったと思いますが、なかなか大変でした。
その後、診察室に呼ばれ、医師から「上腕骨頭骨挫傷(骨に過度な衝撃が加わって起こる怪我で、骨内部に炎症や内出血が生じた状態)」「肩峰骨折(肩甲骨の先端部分の骨折)」「肩鎖関節脱臼(肩甲骨と鎖骨をつないでいる部分の脱臼)」を起こしていると伝えられました。実際にMRI画像を見ると内出血がかなりはっきりと写っていました。また、CT検査の画像では肩峰骨折がはっきりと写っていました。肩鎖関節も鏡で見ると明らかにズレている状態でした。骨折に関しては手術をして金具で固定するとのことでした。三角巾で腕を吊った状態で診察室を出て、しばらく天を仰いでいました。
手術は人生で初めての全身麻酔で行われました。
目が覚めると、すでに手術は終わっており、ベッドの上に寝ていました。そして異常に喉が痛いことに気づきました。「なんだ、この猛烈な喉の痛みは!」と思い、看護師さんにその旨を伝えると、「先生に聞いてきます」と言われました。しばらくすると、看護師さんと一緒に手術を担当してくださったドクターが来てくれました。そして「その喉の痛みは全身麻酔の副作用ですよ」と告げられました。全身麻酔についての事前説明の用紙を見返してみると、確かにそのような副作用のリスクが書かれてありました。
全身麻酔をしていたため、尿道に管を通されていたことも相当不快でしたが、夜まったく眠ることができなかった猛烈な喉の痛みはたまりませんでした。この時初めて「薬の副作用の恐ろしさ」というものを痛感しました。時間が経つにつれて徐々に副作用もおさまっていきましたが、もう二度とあのような経験はしたくありません。
退院した翌日から整骨院と学校の日々が始まりました。腕を三角巾で吊りながらの整骨院勤務と学校通いは大変でした。
患者さんからは「先生、その格好じゃどっちが患者さんかわからないね」と言われる始末でした。でも自分には休んでいる暇はないと思っていましたので、院長に志願して早期復帰しました。
そして働きながら並行してリハビリをすることになりました。
しばらく三角巾で左腕を吊っていたこともあり、肩の可動域も狭く、右と比べると左の肩から腕にかけての筋肉がだいぶ細くなってしまいました。
人生で初めて病院でリハビリを受けることになりました。初めてでしたので多少の不安や緊張がありました。「きっと整骨院に初めて来院される患者さんもこんな気持ちなのだろうな」と、実際に患者になることで体感することができました。
初回のリハビリを担当してくださった先生は、ベテランで優しい雰囲気のある先生でした。私の緊張を最初の何気ない会話で解きほぐしていただきました。そこから私の話をよく聞いてくださり、とても安心して身体を預けることができました。
しかし、次のリハビリを担当してくださった先生は前回とは別の先生でした。その先生は私の話をあまり聞いてくれず、自分の話したい話題をずっと話されました。「先生の好きなお店や趣味の話を聞きに来たわけではないのだけれどな」とモヤモヤした気持ちでその日のリハビリを終えました。そして、以前勤めていた整骨院で患者さんといろいろ世間話をしながら施術するように言われ実行していましたが、「あの時の患者さんも、もしかしてこのような不快な思いをしていたのではないか」と反省する良い機会にもなりました。
同じ技術でリハビリをしているにもかかわらず、私の話をしっかり聞いて現状を把握しながら親身に寄り添ってリハビリしていただくのと、話もろくに聞いてもらえず一方的に先生の話を聞かされ続けながらリハビリを受けるのとでは、心の満たされ方や身体の回復の実感がこんなにも違うのかと感じました。また、毎回リハビリの担当者が違うことによって、「今日はどんな先生が担当するのだろう」という不安もありました。自分が将来開業するのであれば、自分が責任を持って最初から最後まで患者さんを診ようと思うきっかけにもなりました。
今回、事故で大怪我をしてしまったことは本当につらかったですが、患者さんとしてリハビリを経験できたことは、今後の治療家人生において大きな財産となりました。
この時の経験が、治療院や病院などでつらい思いをしてきた方々の気持ちに共感し、寄り添う整骨院を形づくっていくことになるとは、思ってもいませんでした。
院長のバックストーリーPart8に続く
(監修 柔道整復師 児玉寛武)


