
院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。
前回までのストーリーPart5はこちら
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2-2 肉体的にも精神的にも金銭的にも苦しかった柔整学校時代
整骨院の補助的業務やマッサージの練習に取り組み続けていたある日、院長から「そろそろ患者さんを脚だけでも実際に施術してみるか」と言われました。とても嬉しかった反面、今の自分が実際に施術していいのかとても不安になりました。とにかく来院された時よりも悪くしないように心がけようと思っていました。
私が初めて施術することになった患者さんは、ここの整骨院の常連さんである80代男性の方でした。「今日担当させていただきます、児玉です。脚のマッサージが終わりましたら途中で代わりますが、よろしくお願いします」とかなり緊張しながら自己紹介をした後、マッサージに取りかかりました。
事前に院長から「マッサージしながら世間話をするんだぞ」と言われていましたが、緊張でなかなか気の利いた世間話ができず、なんとか無理やり話そうとしてぎこちない会話で終わってしまいました。緊張による脂汗のようなもので、背中はびっしょり濡れていました。
脚のマッサージが終わった後、「それでは別のスタッフに代わりますね」とお伝えし、ほろ苦いデビューとなりました。その後、院長から「もう少し上手くしゃべりながらできないのか?お前は」と一喝され、「マッサージの練習と一緒に、世間話の練習もしておくように」と言われて、かなりへこみました。
この時はマッサージするのに意識が全部いってしまい、手を動かしながら世間話をするということが自分の中ですごく難しく感じたのです。
その時以降、マッサージの練習の時も、練習相手のスタッフと、なるべく会話をしながら練習するように取り組みました。また、患者さんが待合室で待っている時や、受付の際などもなるべく話しかけるように意識しました。
毎朝、整骨院の外回りの掃除をする際も、整骨院の前を通りかかる人に挨拶して話しかけるようにしてみました。はじめのうちは挨拶しても無視されることも多かったのですが、だんだん毎朝見慣れた顔の人からは「先生、今日もご苦労様!」と声をかけていただけるようにもなってきたのです。
このように毎日のように会話の練習をしていくうちに、マッサージしながら会話をするということができるようになってきました。また、コミュニケーションに関する書籍なども購入して勉強する時間も作りました。なかなかすぐに上達するものでもなかったのですが、継続していくうちに、デビューの時のようなぎこちなさが少しずつ取れていくのが実感できてきたのです。このような学校の勉強以外のことでも勉強することが多く、相変わらず寝不足で過酷な日々は続いていくことになるのです。
しばらく患者さんの脚だけのマッサージをする日が続きましたが、ある日院長に呼ばれて「そろそろ全身のマッサージをやってもらうから」と言われて、かなりの緊張感が自分の中で走りました。
来る日も来る日もマッサージの練習に打ち込み、はじめのうちは壊れてしまうのではないかと思っていた指の方も、慣れてきて以前よりは痛みもマシになってきていました。
院長から全身のマッサージに入るように言われた相手は、40代の体格のいい男性患者さんでした。自分のレベルが未熟なのは百も承知で、「来院した時よりも悪くはしないように」と心がけてマッサージしていきました。
途中の記憶があまりないくらい集中して、背中が脂汗でびっしょりになりながらも、なんとかマッサージを終えました。
しかし、院の規定していた施術時間は大幅に過ぎてしまっていました。院長から「こんなに施術時間オーバーして何やってるんだ、お前は?いつも何を考えてマッサージの練習してる?」と叱られてしまいました。
そして院長がその患者さんに帰り際、施術の感想を聞いていました。
するとその患者さんは「なんか指圧が弱くて物足りなかったですね」と言い、帰っていきました。
その言葉を聞いた瞬間、院長に怒られたことよりもはるかにショックを受けました。
来た時よりも悪くしないようにと慎重になった結果、患者さんは満足せずに帰っていかれた。今までのマッサージの練習がすべて否定されたような感覚になってしまいました。そして、それと同時に芽生えた感情があります。
「指圧の強さについてクレームしていたが、これは患者さんを良くするための治療なのか?」「ただ、その場の気持ちよさを提供している癒しになっていないか?」ということでした。
この日を境に、世間話で患者さんを盛り上げながら気持ちよくマッサージを受けて帰ってもらうことへの違和感が拭えなくなってしまいました。
それ以降、注意深く整骨院に来院される患者さんたちを観察するようになりましたが、ここに来院していた多くの患者さんが治療に来ているというより、気持ちよくマッサージを受けに来ている感覚であるということが分かってきました。
「他の整骨院もそうなのかな?」という疑問がものすごく湧いてきて、平日の整骨院の定休日の時間を使って近隣の整骨院を片っ端から何軒も患者として受診してみたのです。
そして、ほぼ例外なくどの整骨院も同じようなスタンスで診療しており、かなりショックを受けました。でも、「へこんでいる時間は自分にはない。マッサージで患者さんの身体を触るのも、自分の手の感覚を研ぎ澄ませていくためには、今の段階では必要なことなんだ」と自分に言い聞かせて突き進むことにしました。
結果的には、この時辛抱してマッサージを続けたことは、今の自分を形作るためには必要なことであったと思っています。
その後も月給5万円での生活が続き、金銭的にもつらい日々が続きました。
毎朝整骨院に出勤する前に、塩で味付けしたおにぎりを握って、お昼ご飯で食べていました。
朝ごはんは節約のために我慢して、食べることはありませんでした。
時間がなくて自炊が厳しい時は、夜の遅い時間帯に半額になったお弁当を狙って近くのスーパーに買いに行くこともよくありましたし、菓子パンだけで1日乗り切ったこともあります。
ある日、中古で買った古びた自転車に乗り、やつれた顔で学校に向かっていると、警察官に職務質問を受けたことさえありました。警察官からすると、自転車を盗難したのではと疑われるくらい、みすぼらしくやつれているように見えていたようです。
警察官に呼び止められ、周りからはまるで犯罪者を見るかのような目で見られましたが、このような自転車しか乗れない現状を警察官に伝えると、警察官が目に涙を溜めながら「申し訳ありませんでした」と謝罪されました。
思わず私も自分が惨めになり、「気にしないでください」と帰り道をうつむき加減で自転車を押して歩き、目に溜めた涙を拭きながらそのまま学校に向かったのです。
それでも頑張り続けられたのはやはり、父のような一人前の治療家になりたいという一心からでした。
その後もしばらく整骨院で働いていると、だんだん仕事や業界の全体像がわかるようになってきました。
そしてマッサージもだいぶ慣れてきて、以前のように背中が脂汗まみれになることもなくなっていきました。この整骨院で卒業まで頑張ってみようかなという思いも少し出てきたところで、大変ショッキングな出来事に遭遇することになります。
柔道整復師の健康保険の不正請求問題です。
整骨院の健康保険で対応できる症状には、「骨折・脱臼・捻挫・打撲・挫傷(ざしょう)、いわゆる肉離れ」の原因がはっきりしたケガのみという法律での決まりがあります。
慢性的な肩こりや腰痛をはじめとする、「原因がはっきりした急性のケガ」以外の症状には健康保険が使えません。整骨院で健康保険が使える症状は、実は結構限定されています。
整骨院の業界では、肩こりや腰痛などのケガ以外の症状でも、「捻挫などのケガをしたこと」に置き換えて保険請求している実態が蔓延してしまっている状況でした。
このことに関しては、インターネットやニュースでの摘発事件で最初に知ることになりました。
そして、お世話になっていた整骨院の保険請求の事情を見ると、肩こりや腰痛の患者さんを、さもケガをしたかのように偽り、保険請求をしていたことを知りました。
さらに、腰が痛いという患者さんの保険請求を見ると、なぜか股関節や膝までケガをしたことになっており、水増し請求している事実まで知ってしまいました。
私の学校の同級生もこのような不正をしている職場で働いている事実を聞いて、大変驚き、ショックでした。同じクラスメイトでまともな保険請求をしている整骨院で働いている人は、聞いた限り一人もいませんでした。皆、悪いと知っていても、知らぬふりをして働かざるを得ない状況だったのです。
当時お世話になっていた整骨院はこれだけでなく、患者さんが来院していない日も来院したことにしてしまっている事実を目にしてしまいました。しかも、患者さんと院長がその事実を示し合わせている場面も見てしまう機会がありました。
しばらくは全然気づきませんでしたが、私の許容できるレベルをはるかに超えていました。今思い返しても相当ひどいレベルです。
これをきっかけに、精神的に相当悩んでしまう日々が続きました。
ただでさえ寝不足の日々が続いていたのに、さらに寝不足になってしまい、肌もカサカサで口内炎もひどくなりました。
院長からご指導いただいても、全然院長の言葉が自分に響かなくなってしまいました。
「お金のためにここまでやるのか?」「治療家である前に人としてどうなんだろう?」様々な葛藤が私の中で交錯しました。
「未経験の自分を雇っていただいて、ここまで指導していただいたことには本当に感謝している。でも、これ以上ここで働く気にはどうしてもなれない。別の整骨院を探そう」と、自分の気持ちに嘘はつけませんでした。
それから整骨院と学校の忙しい日々の合間に、他の整骨院の面接を受けて、採用していただけるところが見つかりました。
そして、翌月からそこの整骨院でお世話になることになったのです。
この時の経験が、自費専門の整骨院として健康保険に頼らないクリーンな経営をしていくための大事な礎になっていようとは、思ってもいませんでした。
院長のバックストーリーPart7に続く
(監修 柔道整復師 児玉寛武)

