院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。

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坂元台整骨院(鹿児島市)院長のバックストーリーPart1

院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。 飴と鞭の教育を受けながら、田舎でのびのびと育った少年時代 私は鹿児島市(当…

 ユーモアで笑わせて人が喜ぶ姿を見ることが好きだった小学校時代の私

小学校低学年の頃はわりと引っ込み思案で、どちらかと言うとおとなしい子供だったと思います。転機が訪れたのは、小学校3年生の時の何気ない私と先生とのやりとりで大爆笑が起こった時でした。人に笑って喜んでもらえるということは、自分にとってこんなに嬉しいことなのかとこの時感じたのです。

それからというものの、何か笑ってもらえそうなネタがあればそれを利用してクラスメイトを笑わせていました。3年生の時の担任の先生は優しい先生でしたので、私の行動をいつも暖かく見守ってくれていました。

4年生になると新しい担任の先生になり、新学期を迎えました。この時の担任の先生はとても厳しい先生でした。いつもの調子で笑いをとりに行こうとすると、先生から叱られることもあって萎縮してしまい、なかなかクラスメイトを笑わせることができずにモヤモヤしている時期でもありました。

「こうなったらまずは機会をみて先生を笑わせてみよう」そう考えて、まずは先生はどんな人なのかを知るために人間観察をはじめました。そして厳しい先生だけど、時には笑うこともあるからチャンスはあるかもと思いはじめました。たぶんこういう感じで行ったら笑ってもらえるかも、とチャレンジするもうまくいきません。笑ってもらえないならまだしも、叱られることもありました。試行錯誤してどうやったら先生を笑わせられるかチャレンジした日々でしたが、結局自分で狙って笑わせられることはできませんでした。自分としては不甲斐ない結果で、結構凹みました。しかし、クラスメイトは自分がまた変なことにチャレンジしている姿を見て楽しんでいたようです。

それから数ヶ月経過したある日のこと、先生と私のやりとりで、笑いを狙ったわけではない何気ないことでクラスに爆笑が起こり、この時初めて先生も笑っていたのです。

この時から先生との距離が縮まりだして、以前よりも徐々に本来の自分を出せるようになったのでした。

5年生になると、ますますクラスメイトを笑わせようと目立つような行動をしていました。この行動は自分のクラス以外でもするようになっていきました。他の学年の人たちも笑ってくれることにとても喜びを感じていたのです。

しかし、そんなある日事件が起こります。6年生の先輩から「お前、いつも調子に乗ってるな」と文句を言われていきなり顔面を殴られてしまいました。この時、殴られたことよりも、人を笑わせようと自分がとっていた行動を快く思っていない人がいることに大きなショックを受けました。その日以降、その先輩から会うたびに嫌がらせを受けるようになったのです。

嫌がらせの日々はしばらく続きました。廊下ですれ違う時は睨まれながら「また殴るぞコラ!」「調子に乗ってたら次は殺すからな」と心無い言葉を浴びせられ続けました。また、学校帰りにばったり会った時は「お前まだ調子に乗ってるから殺してやるわ!」と言われ、お腹に思いっきり膝蹴りをくらい倒れて悶絶することもありました。「俺、こんな仕打ち受けるほど何か酷いことしてたっけ?」と悔し涙を流しながら下校することもありました。この時期は相当落ち込んでいましたし、笑わせようと目立つような行動をするのが怖くて大人しくなっていました。クラスメイトから「どうした?なんか最近元気ないんじゃない?」と言われるような状態になっていたのです。

その後も嫌がらせが続いたので、ある日たまらず両親に相談してみました。すると父が「やられっぱなしで帰ってくるんじゃない。どうみてもそいつが悪いのだから殴り返してこい。」と言うのです。殴り合いの喧嘩なんてほとんどしたこともないけど大丈夫かな?と物凄い不安を抱えたまま登校することになりました。

ある日の学校のお昼休みに、嫌がらせをしてくる上級生にばったり遭遇しました。「今日はどんなお仕置きをしてやろうか」と言いながら、いつものように私にちょっかい出そうと近づいてきたので、勇気を出して思いっきりぶん殴ってやりました。そうしたら、まさか仕返ししてくるとは思ってなかったみたいで、びっくりして逃げて行ったのです。それ以降、その上級生から嫌がらせを受けることもなくなりました。そしてこれを機に以前の自分を取り戻すことができるようになりました。

6年生になる頃は自分で言うのもおかしいですが、完全に学年の人気者の存在となっていました。最上級生で先輩の存在もいないわけですから、怖いものなしのような日々を過ごしていました。自分が徐々に調子に乗ってきてしまっているとも気づかず、いつの間にか自分自身、天狗になっていたのです。

ある日、1人の女子生徒のことをネタに笑いを取ろうとしてしまい、クラスの一部の女子生徒達を敵に回してしまうことになります。これは完全に相手への配慮が欠けていた自分の責任でしたが、当時の私は「それくらいでいちいち怒るなよ」と言う気持ちで、全く反省もせずにいつもの調子でいました。それくらい調子に乗って、天狗になっていたのです。

そのうち一部の女子生徒達から陰口を叩かれたり、明らかに無視されたりするようになり、ようやく事の重大さに気づきます。その時初めて自分の行動を振り返ると、相手が傷つくような事で周りから笑いを取ろうとしてしていた自分の愚かさに凹みました。結局、自分のことしか考えていなかったのです。

しかし、反省はしたものの女子生徒達からの報復行為はなかなかおさまりません。「あいつホント最低なヤローだよね」「あんなやつこのクラスからいなくなればいいのに」と自分に聞こえるように陰口を毎日言われ、無視され続ける日々が続きます。これは自業自得とはいえ、とても自分にとってつらい時期となりました。周りはいつも楽しそうにしているのに、自分は全然楽しくないしつらい日々。周りのクラスメイトが羨ましくて仕方がありませんでした。「あんまり目立つとろくなことないな。これからは目立たないように大人しく学校生活を送ろう」そう思いながらこの時期は毎日ひたすら耐える日々でした。

このような生活がしばらく続きましたが、事の発端は自分の行動からはじまったのだから、とりあえず当事者の女子生徒にしっかりと謝ることにしました。最初は声をかけても「話しかけてこないでよ!」と言われ突き放されたり、無視されたりしたのですが、「ちゃんとこの前のこと謝りたいから話を聞いて欲しい」と謝罪したい旨伝え続けると、渋々ですが話を聞いてもらえました。

そうすると、今までの女子生徒達からの報復行為もピタリとなくなり、徐々に以前の学校生活に戻ることができるようになってきたのです。

この時の経験が20年後治療家となった時に、患者さんの緊張を和らげることや、世間話から患者さんの日常生活の動きを考えて検査や治療をしていく際の、コミュニケーションに生かされることになるとは当時は思ってもいませんでした。

院長のバックストーリーPart3に続く

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坂元台整骨院(鹿児島市)院長のバックストーリーPart3

院長の生い立ち、治療家を目指したきっかけ、現在にいたるまでを書かせていただきました。 前回までのストーリーPart2はこちら ⬇️⬇️⬇️ 野球で経験した栄光と挫折。チーム…

(監修 柔道整復師 児玉寛武)