院長 児玉 寛武(こだま ひろむ)

院長経歴

  • 鹿児島県立武岡台高校 普通科 卒業
  • 九州産業大学 経済学部経済学科 卒業
  • 福岡医療専門学校 柔道整復科 卒業

国家資格

  • 柔道整復師

幼少期から社会人まで

私は鹿児島市(生まれた当時は鹿児島郡)の吉田町という自然豊かで、のどかな町に二人兄弟の長男として生まれ育ちました。

両親は私が小さな頃から共働きでしたが、祖父や曽祖母も同じ敷地にそれぞれある家に住んでおりました。ですので、よく一緒に遊んでもらい、寂しい思いをしていた記憶はありません。

また、祖父が農家だったため、自宅の敷地内に牛やニワトリなども飼っておりました。その餌やりや、卵の収穫など手伝って、毎日自然や動物に触れる機会が多かったです。

当時はお風呂も薪を燃やして沸かしておりましたので、よく薪割りやお風呂を沸かすための火おこしも手伝っておりました。

もしかしたら現在キャンプが趣味の一つであるのも、この幼少期の経験があるからかもしれません。

小学生になると、今の実家を新築した時でしたのでそちらに引っ越しました。お風呂をボタン一つで沸かせること、水洗トイレであることに衝撃を受けたことを鮮明に覚えております。

そして、私が小学生の頃に父が脱サラして鍼灸師の道へと進むことになります。

自宅の一室を治療室に改装して鍼灸治療院を開業しました。

子どもながらにやっていけるのか最初の頃は心配で、よく父に「患者さん今日何人来たの?」と聞いていました。今にして思えば、なかなか父にはプレッシャーになることをしてしまっていたなと反省してます。

父が鍼灸治療院を開業してから、「楽になりました」「ありがとうございました」と笑顔で治療費を支払って帰っていく患者さんの姿をたびたび目撃する機会がありました。

当時は「人に喜んでもらえるいい仕事なんだなぁ」ぐらいの軽い気持ちで受けとめておりました。

月日は経ち、大学を卒業後、サラリーマンとして就職しました。超就職氷河期世代でしたので就職活動はとても大変でしたがご縁のあった会社に就職することができました。

ここから毎日長時間に及ぶ仕事がはじまります。デスクワークも相当長い時間しておりましたので徐々に肩こりや腰痛、眼精疲労などに悩まされるようになりました。

日曜日だけお休みの会社で、平日は思うように睡眠時間も忙しくて取れませんでしたので、いつも週末は日曜日のお昼くらいまで死んだように寝ておりました。気づいたらお昼で、また明日から仕事が始まるといった感じでした。しかし、日曜日の出勤もそれなりにありましたのでこの時が大変でした。当時は20代の若さもあり週末の寝溜めで乗り切っていた感じですが、それができない週は明らかに身体がしんどかったです。休息の大切さをこの時身をもって感じました。

脱サラして治療家の道へ

自分の身体のことも本格的に心配になってきたので、週末実家に帰れる時は父に治療してもらうようにしました。そうすると明らかに治療後は身体が楽になり、翌日からの仕事がやりやすかったのです。

子供の頃「楽になりました」「ありがとうございました」と言いながら笑顔で帰っていく患者さんの姿を見ていた記憶がこの時鮮明によみがえりました。

自分の身体がしんどくなって初めて、自宅に来院していた患者さんの気持ちを体感でき、父がしている治療家という仕事の素晴らしさが理解できました。

その時30歳、独身。治療家の道にチャレンジするなら今じゃないか?

相当悩みましたが、「チャレンジしないで後々後悔する人生は歩みたくない」という思いが強かったので、まさかの父と同じ脱サラからの治療家の道を進むことになるのです。

治療家の道に進もうと決心した翌年に、福岡医療専門学校の夜間部に入学しました。年齢的にも30歳超えていましたので、日中整骨院で働きながら少しでも早く現場経験を積みたいと思っていましたが、鹿児島には夜間の学校がありませんでした。ですので福岡の学校に行くことを決めました。

家賃18000円のアパートを借りて、朝から夕方まで整骨院で働いてから夜学校に通う日々。お給料はその時月給5万円でしたのでサラリーマン時代との給料の違いにはじめは驚いたものの、「早く一人前の治療家になりたい」と希望を燃やしていたので全然苦でなく、充実感に満ちていました。

整骨院での修行は、はじめは慣れないことばかりで戸惑うことも多かったです。

当時は一生懸命マッサージして患者さんに「ありがとう、気持ちよかった」と言われるだけで嬉しくなって、「よし!もっとマッサージ上手になるぞ!」と意気込んでマッサージの練習を続けておりました。

そんな修行の日々を送っていたある日、患者さんに「今日も気持ちよかったです、ありがとうございました」と言われて喜びかけた次の瞬間、「ところでこの症状はいつになったら良くなりますか?」という質問に絶句してしまいます。

自分が今患者さんにしていることはマッサージという癒しであって、治すための治療ではない。「治せるようにならないとダメだ」とここで意識が大きく変化しました。そのおかげで学校での解剖学や生理学をはじめとする講義などもより真剣に受講するようになりました。

整骨院のお給料も年数とともに上がり最終的には月10万ほどになり、奨学金と合わせて工面しながら何とか生活できていました。貧乏でしたが、希望に満ちた日々で楽しかったです。 いろいろと大変ではありましたが3年間、整骨院での修行と学校を両立しながら柔道整復師の国家試験も無事に合格し、卒業することができました

鹿児島に帰郷、そして開業へ

それから鹿児島に戻り、整骨院で勤務しながら週末休みの日は治療のセミナーを受け続ける日々が続きました。学んだ治療法を家族の身体で練習して、ある程度形になってきたら実際臨床で試して検証して、反省→修正して練習→再度臨床でトライをひたすら続けました。これを飽きずに数年繰り返していると、徐々に結果が出るようになってきました。

昔から存在し、今でも使い手の残っている伝統療法は簡単に習得できるようなものではありませんし、生涯かけて磨き続けていくものだと思うのですが、いいものが多いと感じます。だからこそ、流行り廃り関係なく残り続けているのでしょう。

休みの日はよく治療セミナーに行き、技術の練習相手になってくれている家族にはいろいろ迷惑をかけてますが本当に感謝しています。

おかげさまで、家族に身体の不調が出た時は、私の施術で対応できるようにもなりました。

鹿児島で3年間お世話になった整骨院を退職し、2017年4月に鹿児島市玉里団地に坂元台整骨院を開業いたしました。

開業後も治療のセミナーを全国色々受講し続けて、いい治療法との出会いもあり、今の治療スタイルになっております。いい治療法であっても、臨床で再現性を出せるようになるまで相当の修練が必要です。今現在もまだ道半ばですが日々、知識と技術のブラッシュアップをし続けております。この仕事を辞める日まで勉強しているはずです。すべては患者さんのためですから。

健康保険の治療で治らずにお困りの患者さんはたくさんいます。そのような方々のために、健康保険では対応することのできない症状に対して、自費診療で患者さんに良い結果を提供できるようにこれからも日々研鑽を積んでまいります。

院長 児玉 寛武

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